http://www.inside-games.jp/news/235/23540.html
6年前の9月14日、ニンテンドーゲームキューブが日本で発売になりました。
2001年9月14日にリリースされたのは任天堂から『ルイージマンション』と
『ウェーブレース ブルーストーム』、セガから『スーパーモンキーボール』
の計3タイトル。任天堂からの発表によれば発売から3日間の売上台数は30万
台だったそうです。
折りしも9月11日には米国で同時多発テロが発生し、動乱の時代に突入しよう
という時期でした。セガが他社ハードとして始めてゲームキューブにリリース
したり、発売前日の9月13日にはカプコンが発表会を開催し、『バイオハザード』
をゲームキューブに独占供給する方針を発表したり、発売直後にはシアトルマ
リナーズが地区優勝を決めたりと明るい話題もありましたが、当面のソフト不
足は如何ともし難いものがありました。
ハードとしてはIBMのCPU「Gekko」とATIのグラフィックボード「Flipper」
というWiiに繋がるパートナーが揃いました。開発が困難と言われたNINTENDO
64の反省を生かして、スペック性能よりも実行性能を重視した設計がなされま
した。親しみやすいハードということで、当時流行したキューブ型の本体に、
コントローラーも良く使うAボタンのサイズを大きくしたりと工夫が見られま
した。
2001年末に発売された『どうぶつの森+』や『大乱闘スマッシュブラザーズDX』
が大ヒットし勢いがついたものの、年始からはソフト不足が続き、夏と冬に満を持
して発売された『スーパーマリオサンシャイン』や『ゼルダの伝説 風のタクト』
もいずれもミリオンセラーには至らず、PS2が大きく先行していたこともあって大
勢が決した感がありました。
しかしながらゲームキューブも多くの挑戦を生んだハードでした。任天堂はゲー
ムボーイアドバンスとの連携を積極的に進め、「コネクティビティ」として
『ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル』(長らく対立してきた任天堂
と旧スクウェアの手打ちも実現しました)や『パックマンvs.』などのタイトルが
実現したほか、従来のコントローラー以外のインターフェイスの模索としてタル
コンガや、対応マイクなどが登場しました。Wiiは基本的にハードのアーキテクチ
ャを踏襲していることもあって、次に繋がるハードであったと言えると思います。
2000年8月23日に幕張メッセでコードネーム「ドルフィン」の正式名称が「ニン
テンドーゲームキューブ」と発表された時がこのサイトの1つの始まり(旧Nintendo
INSIDE/GAMECUBE INSIDE)でもあり、個人的にも非常に思い入れのあるハード
です。もうソフトは発売されませんが、Wiiでもディスクは再生可能ですから、まだ
まだ行き続けるハードだと思います!
掲示板にはゲームキューブのスレッドもありますので、是非皆さんの思い出を聞か
せてください!
--
6年前の9月14日、ニンテンドーゲームキューブが日本で発売になりました。
2001年9月14日にリリースされたのは任天堂から『ルイージマンション』と
『ウェーブレース ブルーストーム』、セガから『スーパーモンキーボール』
の計3タイトル。任天堂からの発表によれば発売から3日間の売上台数は30万
台だったそうです。
折りしも9月11日には米国で同時多発テロが発生し、動乱の時代に突入しよう
という時期でした。セガが他社ハードとして始めてゲームキューブにリリース
したり、発売前日の9月13日にはカプコンが発表会を開催し、『バイオハザード』
をゲームキューブに独占供給する方針を発表したり、発売直後にはシアトルマ
リナーズが地区優勝を決めたりと明るい話題もありましたが、当面のソフト不
足は如何ともし難いものがありました。
ハードとしてはIBMのCPU「Gekko」とATIのグラフィックボード「Flipper」
というWiiに繋がるパートナーが揃いました。開発が困難と言われたNINTENDO
64の反省を生かして、スペック性能よりも実行性能を重視した設計がなされま
した。親しみやすいハードということで、当時流行したキューブ型の本体に、
コントローラーも良く使うAボタンのサイズを大きくしたりと工夫が見られま
した。
2001年末に発売された『どうぶつの森+』や『大乱闘スマッシュブラザーズDX』
が大ヒットし勢いがついたものの、年始からはソフト不足が続き、夏と冬に満を持
して発売された『スーパーマリオサンシャイン』や『ゼルダの伝説 風のタクト』
もいずれもミリオンセラーには至らず、PS2が大きく先行していたこともあって大
勢が決した感がありました。
しかしながらゲームキューブも多くの挑戦を生んだハードでした。任天堂はゲー
ムボーイアドバンスとの連携を積極的に進め、「コネクティビティ」として
『ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル』(長らく対立してきた任天堂
と旧スクウェアの手打ちも実現しました)や『パックマンvs.』などのタイトルが
実現したほか、従来のコントローラー以外のインターフェイスの模索としてタル
コンガや、対応マイクなどが登場しました。Wiiは基本的にハードのアーキテクチ
ャを踏襲していることもあって、次に繋がるハードであったと言えると思います。
2000年8月23日に幕張メッセでコードネーム「ドルフィン」の正式名称が「ニン
テンドーゲームキューブ」と発表された時がこのサイトの1つの始まり(旧Nintendo
INSIDE/GAMECUBE INSIDE)でもあり、個人的にも非常に思い入れのあるハード
です。もうソフトは発売されませんが、Wiiでもディスクは再生可能ですから、まだ
まだ行き続けるハードだと思います!
掲示板にはゲームキューブのスレッドもありますので、是非皆さんの思い出を聞か
せてください!
--
All Comments